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釧路家庭裁判所北見支部 平成2年(家)243号 審判 1991年7月05日

申立人 鈴木一

事件本人 鈴木明

主文

1  本籍北海道紋別郡○○町字○○○××番地筆頭者鈴木一の除籍中長男明の身分事項欄の死亡による除籍事項を削除して同人を同戸籍の末尾に回復する

2  1により回復した同人を転籍後の本籍北海道常呂郡○△町字○△×××番地筆頭者鈴木一の戸籍の末尾に移記する

ことをいずれも許可する。

理由

一  一件記録によれば次の事実が認められる。

1  申立人は事件本人鈴木明の父親であり、本件戸籍の記載につき利害関係をゆうしている。

2  申立人は、明治43年11月15日出生し、昭和10年ころ妻シズ子と婚姻し、昭和13年4月25日事件本人明をもうけた。

3  申立人は、昭和15年5月ころ、弟とともに満州(現在の中国黒龍江省依蘭県)の南靠山屯開拓団○○部落に渡り、鍛冶屋の仕事をし、昭和16年5月ころ、事件本人を含む家族らを呼び寄せ、前記○○部落で同居するようになった。

4  申立人は、昭和19年4月ころ応召し、事件本人らを前記○○部落に残して帰国して九州に行き、終戦を迎えた。一方、事件本人は、前記○○部落で終戦を迎え、家族や従姉トメ子(現在佐藤姓)らとともに避難したりするうち、ソ連の捕虜となり難民収容所に入れられたが、祖父や母親シズ子も死亡し、このままでは餓死する可能性も高かったところから、叔母ソメ子に連れられて仕事を探しにでかけたが、その後連絡が途絶え、当時の情勢から考えて事件本人は死亡しているものと思われた。

5  佐藤トメ子らがソメ子や事件本人を探したが見つからず、帰国した後16年程たっても消息がつかめないことから死亡しているものと判断し、死者として埋葬してやろうと考え、実際は死亡を現認している訳ではないのに、同じく渡満していた知人に依頼して死亡現認書を作成してもらい、これを資料として申立人は昭和36年2月28日事件本人の死亡届を提出し、その旨の記載が戸籍になされた。

6  事件本人は、ソメ子に連れられて行動し、ソメ子は中国人の周秋仁と結婚しその後死亡した。そして、事件本人は周子伯として周秋仁の親に育てられ、現在では妻と3人の子をもうけ、肩書地に住んでいる。

7  周子伯が事件本人であることは、周子伯が記憶していた自己の名前と事件本人の名前が一致し、周子伯と事件本人の年齢がほぼ一致する、事件本人の家族構成と周子伯が記憶している自己の家族構成が一致する、事件本人が佐藤トメ子らと離別した状況と周子伯が親族と離別した状況とも一致する上その顔つき等が似ているなどのことによるものであり、厚生省での確認作業によっても事件本人が周子伯であることが確認されており、血液型等でも矛盾があるとは認められないなどの事実関係から考えると周子伯は事件本人であると認めるのが相当であり、そうであるならば事件本人は生存していることになる。

二  以上の事実によれば、本籍北海道紋別郡○○町字○○○××番地筆頭者鈴木一の除籍中長男明の身分事項欄の死亡による除籍事項の記載は事実に合致せず、事件本人の戸籍を回復する必要がある。

よって、本件申立ては、理由があるからこれを認容することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 上垣猛)

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